はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

好きなことは、忘れても寄り道しても大丈夫だった

息子の学校が始まり、
一人時間を楽しんでいます。

 

それで、
ずっと集中して観たかったNHK連続テレビ小説
カーネーション』を
一日中観ています。

 

 

主人公の糸子の幼少期を見逃していたので、
NHKオンデマンドで、
過去を遡って1話から観ているのですが、
面白い。
面白すぎです。

 

 

 

幼少期の糸子を観て、
改めて、

 

好きなことって、
どこまでも
どこまでも
自分を追ってくるなぁ

 

ということを、
知らされます。

 

 

まるで、
何か、
神様?みたいなのが、
糸子に洋服を作らせようとしているみたい。

 

 

巧いように、
引き寄せられて、


忘れても、
よそ見しても、
知らず知らずの内に道に引き戻される。

 

 

 

カーネーション』の舞台は、
大正時代の大阪、岸和田。

 

主人公・糸子のおうちは、
呉服屋をやっています。

 

この糸子の父親の
善作がまた、
いいんです。

 

善作は
新しい時代のものにとにかく反発する頑固親父。

  


それで、
洋服を勿論毛嫌いして、
糸子の"洋服を作りたい"という夢を
すんなり応援することはないのですが、

 

この頑固なお父さんを、
糸子が何とか納得させようとして頑張ったことが、
全て糸子の糧になっていく。

 

それを観ていると、
ドラマなので当たり前かもしれませんが、

 

何の無駄もないなぁ

 

と、
人生の不思議を、
運命を感じるのです。

 

 

何の無駄もないのです。

 

 

この、
善作のコンプレックスからくる
面倒くさい感じも、
神様から用意されたものみたいに
感じるくらい。
物語がうまく展開していきます。

 

 
糸子と、善作の関係は面白いです。

 

二人を観ていると、
どんなに邪魔されようと、
なんだかんだ人間は、
自分を通して、
自分の好きなように、
生きるようになっているとも思います。

 

 


うまくいかなくても、
戻ってくるなら、
それが自分の好きな道、
進みたい道ということです。

 

 

 

わたしの話ですが、
わたしの小さい頃、
父が印刷会社で働いていたので
要らない紙、というのがうちの中に豊富にありました。

 

 

そして、
わたしはその紙に
いっぱい書いていました。

 

短くなった鉛筆を使い倒すと、
褒められたので
それが目的でした。

 

 

でも、
その内、
漫画を描いたり物語を書きたくなり、
せっせと書いていました。

 

その書いたものを、
自分で読むのも好きだったし、
ニヤニヤしながら家族に聞かせるのも好きでした。

 

 

そして、今、
ものを書くことが好きだということに
遠回りして気付いた人生を歩いています。

 

 

道具が自然に揃って、
褒められて、

 

本当に好きなこと、
心がときめいてワクワクすることを
ただ、見逃さずにいるだけで、


そこから起きる出来事には、
何の無駄もない。

 

まるでシナリオでもあるかのように、
自分にとって都合の良いエンディングになるように
なっているのかもしれないです。

 

 

 

わたしはそれに気付いて、
今まで自分に起こった良いことも悪いことも

 

何の無駄もなかった

 

とするなら、
この先どんなことが起きても
力強く、
生きていけるなとも
思ったりしています。

 

気付いたからね。
あとは信じて生きてくだけだ。
だだだだだ大丈夫だあ。

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スマホで観まくってます。