はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

わたしはケチな人が大嫌い。でも…

わたなべあいみです。

www.instagram.com

 

 

今日は、
言ってしまったらわたしの何かに差し支えるかもしれないと思って、
言わずに控えていたことをバシィッと言おうと思います。

 

ま、そういった、
発言を控えてる系のことは
ノミの心臓を持ったわたしにはいくつもあるのですが、

 


今日は、
わたしが、
ケチがドワイッッキライだと言うことについて、書きたいと思います。

 

 

 

わたしは、
ケチな人が大嫌いです。

 

 

 

好きな人っていないと思うんですが、
ほんとキライ。

 

射程距離にスタンバイするくらいキライです。

 

 

 

ケチって、
色々あると思うんだけど、
労力やら情報やら、時間やら、お金、うんお金。
お金、出し惜しみする人は、
ドゥワイッッッキライ!!!

 

 

 

なんでだろう、
なんでだろう、
こんなにキライなのなんでだろうって、
テツandトモくらいに考えてました。

 

 

 

で、
もう、
分かったのヨン。

 

 

何で、ケチだと感じた瞬間に
相手を射程距離に入れてしまうほど嫌うのか。

 

 

 

わたしこそ、
ドケチ野郎で、
ドケチだと言うことに気づきたくないから、
ドケチを見つけては、
「いけないんだーーーっ」
って言ってたんよーーー

 

 

恥ずかピィ。

 

 

「ケチ!」って思う時って、
「出せよ」って思ってる。
だって、わたし、ケチですから。
出したくないから。

 

 

そんで逆に、
相手に「ケチ」って言う代わりに、
出すときもある。

 

変だなって思うんですが、
「ケチ」と口で言う代わりに出した見せしめみたいなお金などは、
羽振りよく出してしまいます。

 

 

「ケチはいけないんだよーーー!!」
って、言ってるつもりなのよね、精一杯。

 

 

 

 

で、ですね。

 

 

ドケチって、
いけないんだっけ??

 

 

なんでだろう、
なんでだろう、
って、思いまして。

 

 

いけないって法律ないよね。
ドケチ禁止法で捕まったりしないよね。

 

 

わたし、
ドケチ禁止法を振りかざしてましたが、
ドケチだと嫌われるから、=イケナイ
にしてたんじゃないかなって気付いたんですよね。はい。

 

 

 

 

頑張って、手に入れたものだったら、
手放すとき、ためらっていいんだよ。きっと。

 

 

お金だったり、
知識だったり、
時間だったり。

 

惜しいもん、だって。

 

 

手放せない人のこと、
ドケチだって、罵れる資格なんてわたしにあるのかい?

 

ないよ!
だってわたしだってドケチなんだから!笑

 

 

 

 

 

でもね、
このドケチ根性で生きていくと、
頑張って手に入れる人生、と言うものが出来上がってしまって。

 

 

わたし、
それイヤなんだ。

 

 

でも、わたし今ここにいるんだ。

 

頑張って手に入れるってとこ。

 

 

これを、もっと楽にする方法がなんとなく分かったので、
これについてはまた書きます。

f:id:indigoberrying:20190325175619j:image

 

 

居心地というものを感じてもいい

わたなべあいみです。

 

今日はスマホから投稿してみます。

 

 

今、スタバで一人の時間を過ごしてる訳なんですが。

 

 

なんか居心地がよくありません。

なんででしょうか。

f:id:indigoberrying:20190323125203j:image

 

わたし、

一人でスタバで過ごしてみたいって最近猛烈に思ってて。

 

やってみたんですが。

 

なんか、うん、

店舗にもよると思うよ。

 

なんか、うん、

緊張している。

 

 

やっぱ久しぶりだからか?

とか自分側に原因があるのだ、と決めちゃいそうになりましたが、

これ、わたし側が悪いとか店舗側が悪いとかないんじゃないかって。

 

合わないってことでいいんじゃないかって。

 

 

 

おもてます、なう。

 

 

 

わたしね、

多分もっと人が少なくて、

スカした人が一人もいなくて、

注文するときに緊張しなくて、

イケイケな感じがしないカフェで、

お茶した方が、

 

 

落ち着くね。

 

 

ええ、今、落ち着きを求めているということに、

気が付いたのです。

 

 

マックとかは逆に落ち着くのよ。

もう何回行ったか分からん友達んちみたいな感じれす。

 

 

スタバはね、

久しぶりに来たら雰囲気がもう、

こわい 笑笑

 

 

これもまた、

何度も行けば慣れていくんでしょう。

 

けど、

慣らしていない今のわたしが求めている環境はこれじゃなかったです。

 

 

居心地って、

人それぞれ、

だよね。

 

 

ってことに、

なんだか今更ですが、気付きました。

 

 

そしてそれは、

気後れする必要もなく、

逆に恨む必要もなく 笑

 

 

 

選んで当たり前、なんだな。

 

ピザ食べたい時に、ピザトースト作ってしまう人へ

わたなべあいみです。

www.instagram.com

 

 

 

今日は小学校の卒業式でした。

 

卒業式って、
なんかいいよね。

 

うちの7歳のお兄さんは一年生なので、学校はお休みでした。

 

なので、
今日のお昼はピザを取りました。

 

 

卒業はめでたいからね。
お祝いしないとね。勝手に

 

f:id:indigoberrying:20190320172016j:image

 

 

そんでね、
最近とても植物が好きなので、
お花屋さんに1時間弱くらいかけて行って、
とっても可愛い寄せ植えを買ってきました。

f:id:indigoberrying:20190320172002j:plain

 

 

ベランダを植物で埋め尽くしたいので、
ベランダに置きます。

 

そのうち、
いっぱいのお花とかハーブとか、お野菜とかで埋め尽くしたいな。
とおもとります。

 

 

 

でね、
あーー前にもこの植物ブーム、ベランダーブーム、
わたしの中であったなぁと思い出しました。

 

 

まぁ、夫に、
「前に色々と鉢とか買ったり、植物とか買ったりしてたよね?」
って言われてね、
「全部枯らしたよね 笑」
って言われてね、
うん、うん、みなまで言うなって思ってですね。

 

 

 

で、あの頃わたしは、
今とは違ってドケチでした。笑

 

ドケチ根性がいろんなところで発揮されていて、
「うちの中に緑を増やしたいなーっ」てのは、
豊かな気持ちを求めての行為なのに、
いかにお安く緑を買うか、増やすかに、
ロックオンしてて。

 

 

鉢を買って、
土を買って、
苗を買って、
そんで、
よくわからない、
まだ楽しんだこともない寄せ植えをDIYしました。
Do it yourselfしました。

 

 

でね、
ただただ、
お花や緑に癒されたかっただけのはずがね、
鉢やら土やら買ったりしてすごく忙しくてね、
疲れるの。

 

 

楽しいんだけどね、
なんかどんどん疲れてきちゃうのです。

 

 

だた見たいだけだったのに、
見て、楽しみたい、
と言う欲望だったのに、
ドケチ根性がそれをくねくねとこねくり回して、
結局、働かされたんです、わたし。
わたしは、
癒しを求めたのに、
わたしは、
労働を与えたのです。

 

 

こりゃもう、カラスよね。
あ、枯らすよね。

 

 

枯れた植物は、
今思えば、あの時のわたしの心を象徴していたのかもしれない。笑

 

もう、
この家に引っ越してきた頃の話なので、
5〜6年前の話になりますかね。

 

 

5年越しで、
やっと、
癒されたい、と言う欲望にまっすぐ答えて、
寄せ植えをスッと買ってあげられるようになりました。

 

 

お財布が変わったわけじゃない。

 

 

ただ、
自分の欲望への対応を、
真摯に応えるようにしただけです。

 

 

 今度はハーブの寄せ植えとか買いたいなぁ。

 

あと、
サボテンの寄せ植えがあって、
今日は買わなかったけど、
可愛くて萌えたです。 

 

体は正直、ってこういうことだね

わたなべあいみです。

www.instagram.com

 

 

前にブログに書いたかもしれませんが、
友達に自分の話をしてる時に、間違えて涙が出ちゃいそうになる時があります。

 


間違えてってのはね、
ツライ話として話すわけでも、
悲しい話として話すわけでもなく、
笑いながら話すから、
涙涙の話じゃないはずなのに。

 

 

あれ、なんで?
涙出てきた!ってことがたまにあって。

 

 


その時ね、
「あっ、恥ずかしい」って、
空気間違えたって感じてしまって必死に涙こらえるんだけど、
まぁちょびっと泣いちゃうわけですよ。

 

 

 

なんでかなーって、思うんですが、
多分ね、
そんな時、
思いを初めて口にしたって時なんですよね。

 

 

この口にしたってのは、
自分の感情を言語化して口から出したって意味なんですが。

 

耳から、自分の情報が入ってくるわけです。
外から、入ってくるわけです。

 

 

感情っていうのは
見てもらえるとこんなに喜ぶものなんだなぁと思って。

 

 


その喜びとして、体が反応してるのかなと思って。

 

 

もし、
誰かと話してて涙が出そうになったら、
そこに見て欲しい感情があるってことです。

 

 

そこを見るために体は反応してくれるんだから、
この機能って、
体ってすごいなと思ったりします。

 

 

体は正直って、
こういうことよねって思ったりします 笑

f:id:indigoberrying:20190313163400j:image

 

拗ねてるなって気づいたら、その奥にある感情に向き合う

わたなべあいみです。

www.instagram.com

 

昨日の記事をウオーーーーって書いたんですが。

 

indigoberrying.hatenablog.com

 

 

めちゃめちゃ拗ねてたんだなぁ、わたし。

 

ということが分かりました。

 

 

拗ねてた拗ねてた。
スネ夫ですな。

 

なんで、こんなにも拗ねたのか。

 

 

これを考えてたんだけど、
わたし、人生で、
"これは、あの時はヘラヘラごまかしたけど、実は怒りだった!!"
って、パターンの時にスネ夫になってるってことに気がつきました。

 

 

わたしにとって、
怒りって、
分かりにくいっていうか、

 

すぐ、
綺麗なものに変換しようと頑張る。です。

 

 

いかん!
怒りなんて感情に引っ張られてる!

 

って、考えがまだまだあるみたい。

 

 

つまり、
ポジティブ信者?なんですかね。

 

 


後から「あの前進は嘘っぱちの前進で、置いてかれた自分が拗ねておる!!」
ってことにやっと気づける。

 

 

 

なんで、拗ねるかな。

 

 

多分、無視されたからだよね。

 

 

 

ほんで、
ネガティブを自分に許さなかったからだよね。

 

 

 

ネガティブって怖いもん。
すんごく怖い。

 

 

どうしてだろう。

 

 

 

でもね、
最近、わたしは、
怒りをパンっと破裂させるし、
疲れたらズルするし、
それでも別に大丈夫みたいだから、
ネガティブをちゃんとウヘーと嫌がって、
そして見ようとしてるんですが。

 

 

ネガティブって、頑張らないと感じれない。

 

 

いや、
頑張らないとポジティブって嘘ついてることが分からない。

 

 

 

もう、良いかな、
もう、ここら辺が底辺かな、
みたいにすぐ前に進もうとしちゃう。

 

 

そっちにいるわたしもわたしなんですけどね。

 

 

そろそろ底辺にいるわたしも見てくれないと、
拗ねますよって言ってんのかな。

 

 

気がついたら、拗ねてるから、
この拗ねをどのように解消してあげれば良いのかなぁって考えるけど。

 

 

この拗ねが出てきた時は、
どこかに向き合っていない怒りがあるってことだから、
何に怒ってるのか、
そして、
ただただ静かに怒ってみる、ということをしてみようと思います。

 

 


わたしの中の感情全てを大事にしようと思います。

f:id:indigoberrying:20190312111133j:image

プロって言葉は、ときに暴力みたいになる

わたなべあいみです。

www.instagram.com

 

 

最近、
アロマキャンドル、ボタニカルキャンドルを製作しています。

 

 

これね、
一番最初に作った作品。

f:id:indigoberrying:20190311134710j:image

 

うん、みなまで言わないで。

 

 

 


可愛くないでしょ?

 

これ、出来た時に、
笑ったんだけど。

 

同時にシラけてシラけてね。

 

くっそー

 

 

まじかい。

 

 

もう未来はないぜ、と思った。

 

 

早いでしょ、諦めるの。

 

 

 

でも、
どうしても作りたくて、また作ったら、可愛いのできて。
メルカリで売ったら売れたのです。

f:id:indigoberrying:20190311135049j:plain

これ。可愛いでしょ??

 

まだまだこうしたい、ああしたい、
こうやったら良いとか、課題あるんですが、
売れたの。

 

嬉しくって。

 

 

でね、
売れた時、
真夜中1時くらいね。

 

起きて、スマホ見たら売れてて、
目がギラギラするくらい嬉しかった。

 

 

 

そのあと、
急にね、
ビデオカメラマン、編集マンとして働いてた頃のことを思い出してね。
7年前くらいかな。

 

 

怒りでブルブルして、
ギンギンして、
眠れなくなりました。 

 

どういう類のことを思い出してたかっていうとね、

 

 

なんで、あんなに、
プロだから
プロなんだから
って言っていじめられたんだろうって。

 

 

 

いや、あの時は、
いじめられたって思ってなかった。

 

 

プロなんだからって、
知らない自分、
出来ない自分が責められるのは、
当然のことと思ってた。

 

同業者のプロの人から結構言われたんだけどさ。

 

 

 

けどね、
どういうつもりで、
プロって言葉使ってたんだ??

 

なんで、
あんなにプロって言葉を盾に、
なんだかんだ言われなきゃいけなかったわけ??

 

 

プロって言葉、
まるで暴力みたいに使うじゃん!!

 

 

って、怒ってきちゃって、
大変でした。

 

 

あーーーなんか、
これに似てるのよね。

 

 

 

お母さんなんだから

 

 

 

て、言葉。
もう暴力だよね。

 

 

わたしを無視して、
お母さんって立場にグリグリ擦り寄せて、
これって、
いじめだよね。

 

 

は?
お母さんだから何?

は?
プロだから何?

 

 

ってね、
あっ!
こういう言葉って、
ケチな人が使う言葉なんじゃないかと思って。

 

 

そのままの自分では通用しない世界。
制限があって、
ノルマがあって、
それを超えないと使わせない言葉って、何?
ただのケチじゃない?

 

 

プロ側からしてみたら、
自分の技術をやすやすと与えたくない、
出し惜しみたい、
なんとしてでも金に変えるために特別視してもらわなきゃいけない。

 

 

自分の大切なプライドを守るために、
人と差別化して、
プロって言葉で自分を守ってきたんだろうけど。

 

 

その人がただ、その人ってだけじゃ、
ダメなのかい?
誰にも気に入られないのかい?

 

それって、
ただの宣伝力不足っていうか、
魅力がないこと、
怠慢してられるだけの言葉なんじゃないの?

 

 

って、思いついて。

 

 

そしたら、
わたしのこと、
「プロなんだから 苦笑」
って言葉で傷つけてきた人たちのことを、
わかったというか。

 

 

あ、
別に、
そんな自分を否定しまくらなくて良かったんだ。

 

 

てこと、
気付いて。

 

 

若かりし頃に、
"プロ"って言葉に惑わされて、
憧れまくったり、
傷ついたりして、
涙を流したこともあったけど。

 

 

それを、
わたしは突き詰められない人っていう証拠にして、
自分を責めたりする材料に使ってたりしたけど。

 

 

もう、良いかな。

 

 

いらないかな、プロって言葉。
卒業いたします。

 

 

あ、でも、
なるなら、
自分のプロにしかなれないんで、
自分のこと突き詰めるときには、
使ってみようかな。

 

あ、使わないかな、やっぱり。

 

うん、ま、どっちでも良いかな。