はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

わたしもずっと「イヤ」って言いたかった

友達から薦められて、
すぐ、
アマゾンで購入しました。

 

『ずっと「イヤ」って言いたかった。』
すごくすごく面白かったです。

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この本を読んで、
思い出した出来事があります。

 

それを書きたいと思います。

 

 

 

 

理不尽なことをされた

 

ずっと前、わたしが独身だった頃、
母を喜ばせたくて
「二人で旅行に行こう」と誘って行ったことがありました。

 

社会人になって初めて、
貴重な母娘旅行でした。

 

母は当時、マクロビオティック実践者だったので、
マクロビオティックの食事を提供してくれる
旅館を予約しました。

 

 

 

そこで、 
今考えても、
こんなことほんとにあったのか??というくらい
理不尽な接客を受けました。

 

まず、
チェックインの時間になっても
旅館が開いていませんでした。

 

パートのおばさんみたいな人が来るまで、
玄関で待ちぼうけ…

 

そして、
チェックインした後も
ん?と感じることばかり。

 

 

晩ご飯は、ネットの写真とは全然違うモノを出され、
その料理は
おしっこのにおいがすごくする多分おむつをしている
よぼよぼのおばあちゃんが
運んできて、
なんだか全然美味しそうじゃない。

 

マクロビオティックとは名ばかりの、
玄米のおかゆ
ちょっとした煮物と
炒め物。

 

が、
おしっこの匂いと共に部屋に運ばれてきました。

 

 

お風呂はかろうじて沸いていました。

 

が、
所々掃除道具があり、
露天風呂も入れるはずだったのに、
外が工事中のような感じで入れませんでした。

 

でも、
源泉掛け流しだし、
母も気持ちがいいねーとしきりに言うので
わたしもここでテンションを下げることを言ってはならぬと
頑張って楽しみました。

 

気持ちがいいふりをしました。

 

 

湧いてきた怒り

 

一晩休んで、
「せっかくの母と娘の二人旅をこんな思いにさせやがって!!」
という怒りがわたしの中にメラメラと出て来ました。
チェックアウトの時に
旅館の人に勇気を出して


「色々とホームページと内容が違ったんですが、
どうしてですか?」と聞いてみました。

 

すると、
旅館の人は悪びれもせず、


「予約が入ってない日と思っていましたが、
今朝確認したら入ってました。」

 

と言ってきました。

 

わたしは楽しみにしてきた旅行を台無しにされた怒りで、
「そうですよね??」
と感情をあらわにして言いました。

 

「料金を返して下さい!」
とさらに責めてみました。

 

母がこのやり取りの時にどういう顔をしていたか
もう思い出せませんが、
このときいきなり
「でも、温泉は気持ちよかったですよー!!」
と相手の肩を持ち始めたのです。

 

母はこのとき、
ヒーローみたいな感じで現れてきましたというような顔を
していました。

 

 

感情に蓋をする

 

母と旅館の人がなぜか心が一つになり、
さて、
感情をあらわにして怒っているのはそこの
若いお嬢さんだけですよ?どうします?みたいな雰囲気になり、
涙が出そうになりました。

 

わたしの肩を持ってくれるはずの母が
なぜか旅館の人とタッグを組み、
"感情をあらわにしている人"を見て、何もしない。

 

謝る訳でもない。
慰めてくれる訳でもない。
料金も返してくれそうにない。

 

そしてわたしは、
「じゃあ大丈夫です。」と言って、
怒りを飲み込んで、
自分を恥じてその場を後にしました。

 

 

 

「お詫びの品をお送りしますので〜」と言っていた旅館の人は
その後一切、
お詫びの行為はありませんでした。

 

旅館にも何度も電話しました。
まともな対応はしてもらえず、その後も何回か電話しましたが
一度出たときこちらの番号を記録されたのか
着信拒否されてしまって
そのまま変な思い出として頭の奥隅に追いやって
記録されていました。

 

 

時々思い出して、
あれは何だったんだ?と考えてよく分からずまた
奥隅へ収納していました。

 

でも、
やっと分かりました。

 

 

あれは、
理不尽なことをされたときの母の対応、
そのもの。

 

こうやってこの人は、
自分を粗末に扱ってきたんだ。

 

怒りを悪と捉え、
怒りをあらわにする人を哀れみ、
ジャッジし、
とことん怒りを無視する。

 

 

それでなんとか
生きて来た訳か。

 

 

感情は感じてこそ手放せる

 

あの後、
やはり母も旅館の理不尽な接客に納得いかなかったのか
「やっぱりおかしかったよ、あの旅館は」
と何度も言う訳です。

 

理不尽だと感じなかった訳ではなく、
湧いて来た感情にとっさに蓋をしただけだったのです。

 

 

当時わたしは自分の感覚を信じられなかったので、
ちゃんと対応してもらえなかったことを振り返って
きっとわたしの気のせいだ、
わたしの感じ方が間違っていたんだ
と思い込んでいました。

 

でも、
今考えると、
湧いて来た感情をちゃんと見てあげて
それで「変な旅館だったねー!!二度と行くもんか!」って
笑って話した方がずっと良かった。

 

一旦無視したから、
余計に感情がグズグズして肥大化して、
このモヤモヤと膨らんだまま
脳内に場所を食って収納されていたわけです。


こんな大きいもの、
気のせいだって気付かないふりするのに
疲れるわけだー

 

わたしは母に、
母自身が感じる事に意味の無い嘘をついて、
感情を無視して
その場をやりすごして欲しくなかった。

 

そして、
感情をあらわにしたわたしを
無視したり、
価値のない物として扱って欲しくなかったんだ。

 

 

おわりに

 

ふと自分に湧いた感情に蓋をして、
無い事にしていると、
その気持ちに向き合うよりもずっと
疲れる事なのかもしれないと思いました。

 

 

もう、
気にしてないと思っていてもふと思い出していたと言う事は
脳がその情報を捨ててない訳です。

 

わたしはあの時のモヤモヤを
なんとなく今手放せるような気がします。

 

もう、
「一体何だったんだ?」と思い出す事はないと思います。

 


万が一思い出したとしても
その時の思い出に名前が付いたので
名前を思い出すだけ、
使うのは短い時間と少しのエネルギーだけで良さそうです。

 

そして、
今のわたしは、
怒りの感情を出すことを"悪"としていないので
その時の自分を今振り返って肯定してあげることが出来ます。

 

 

そんなことを
教えてくれた本。

 

まだまだ読んでいて感じる事はありそうです。
その時はまた書こうと思っています。