はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

「可哀想なワタシ」を手放せなくて、気付いたこと

私は、
自分が"可哀想"じゃないと、
人には愛してもらえないと思っていました。

 

そんなものは全て、
呪い
と、ワタシに教えてくれた本があるので
紹介しますね。

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今朝のできごと

 

今朝、
息子が、ふりかけご飯はおかわりまでしたのに、
私が作ったスープは一口も食べてくれませんでした。

 

いつもはスルー出来ますが、
何となく今日は、それが許せませんでした。

 

激怒してしまいました。

 

それで、
よく考えたらそうでもないのに、
「いつもママの作った料理残すよね?」
「こんなに作った料理食べてもらえないんだったら、ママ料理作る意味ないし、
 もう作らないね!
 そんで別々に暮らそうか??」
と畳み掛けて責め立てる自分がいました。

 

もちろん、息子は悲しい顔をして、
「いやぁだぁー!!」と
泣きそうになっていました。

 

そして、私はというと、胸のムカつきがすっとしました。

 

これは、
自分に息子をすがりつかせて
"やっぱりママが好き"と思わせるテクニックです。

 

そこで、
ふと気付いたんです。

 

自分を可哀想なキャラに仕立てておいて、
存在意義を認めさせるテクニック
私はどこで、身につけてきたんだろう。

 

 

気持ちの再現をしている

 

呪詛抜きダイエットから

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作者の田房永子さんは、
毒親」の存在を勇気をもって世の中に伝えた漫画家さんです。

 

好きで色々読んで、救われています。

 

今回紹介したいのは『呪詛抜きダイエット』
このページに、私の心理状態が絶妙に代弁されています。

 

私は、
小さい頃、自分が可哀想な思いをすると母が寄り添ってくれたので
それを大人になってからも
再現して
それを認めてもらうことで
自分の気持ちを満たしていたのです。

 

"可哀想"と思ってもらえるためなら、
何でもします。
だって、認めてもらえれば、満足だから。
小さい頃の認められた気持ちを、また何度も味わいたいのです。

 

 

 

 

でも、それは、呪詛。

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呪いのようなものです。

 

小さい時に、
"可哀想"と認められたのは、
ワタシが可哀想なことで都合がよかった人がいた、ただ、それだけのことです。

 

可哀想な人がいると、
"この人を守るのは私しかいない。"
とか、
"弱いものの為に立ち上がろう!"
とかで自己実現したい人にとっては都合がいいのです。

 

人を助けるのが好きな人はいますし、
正義感が強い人はいっぱいいます。

 

自分より弱い人を守ることで、強い自分を感じられることは
私にだってあります。

 

だから、強い人はダメ、
弱い人は犠牲になってはダメ、ということでは
ありません。

 

絶妙な力加減で、世の中は成り立っています。

 

でも、
自分の"役割"とも言える呪詛が
自分の人生の重荷になってきたら、それは役割の降り時です。

 

私は、自分の人生を生きにくくしてきた
"可哀想"でいなきゃいけなかったワタシを今、
降りようと思います。

 

でないと、
つまらないことで
子供の心を犠牲にしてしまいそうだからです。


その上にワタシの心が満たされ、気持ちよくなるという仕組みに今、
吐き気を覚えたからです。

 

そんな自分の虚しさに
今朝気付き、
何とか『呪詛抜きダイエット』しないといけない、
と目が覚めたのでした。

 

 

おわりに

 

昨日、全然口に合わない昆布のお菓子を
義務感からか一生懸命食べました。

 

やっぱり我慢はいけませんねー
我慢したことは、人にも必ず連鎖し、
人に我慢を強要させますね。

 

今朝のこの一悶着の原因は、
もしかしたらここにあるのかもしれないです。
息子は、私が激怒した後、
「ごめんねー」と私を抱きしめに来てくれました。

 

こんなことで、
心を満たしてはいけないなーと思いました。