はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

お母さん、わたしのこと好きでも嫌いでもいいよ③

おはこんばんちは。

 

 

またまた、
続きを書きます。

indigoberrying.hatenablog.com

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それで、
あー、やっぱ嫌われてるって現実だったんだ。
悲しみー…と思っていた日のことです。

 

 

わたしは、
小さい頃の違和感ある出来事をポロッと思い出した時、
夫や息子にたまに、聞いてもらうんですね。

 

まぁ、気持ちを整理すると共に、
反応があるとホッとするから。

 

で、
悲しみー!って言ってる自分を見つけてあげた日も、
寝る前にふと、イヤだったなーって出来事を思い出したので話しました。 

 

 

息子に、
「ママ、小さい頃、友達が駄菓子とか買ってるときに、自分だけ買えなかったんだ。お母さんが体に悪いからダメって。嫌だった〜」
って何気なく話の流れで話したんですけど。
(まぁ実際にはダメとは言ってなく、勝手に怖がって堂々と買えなかった)

 

そんときに、
「おばあちゃん、ママのこと心配してくれたんだねー」
ってサラッと息子が言いまして。

 

 

アレ?
違う違う!
可哀想じゃない??わたし?

 

だって、
だって、

お母さんは、
わたしが望むようなことをしてくれなかったんだよ??

 

 

でも、息子にとっては何だか大丈夫みたいだ…。

 

 

ほら、いつもみたいに、
可哀想だったねぇ、とか、
ヒドイねぇ、とか、
言ってくれないの?

 

 

…て、
期待している自分に気付いてしまいました。

 

 

 

あ、何コレ。
  

同じ出来事でも、 
息子にとっては、
心地よくて、
わたしにとっては悲しい。

  

たったそれだけの出来事じゃん!!

 

 

まるで、
カルチャーショックのような。

 

 

 

自分の悲しいって感情を認めた途端、
可哀想って言ってもらえなくなったというか
そんなのを感じました。

 

わたしは、
わたしに悲しいって気持ちを見てもらいたくて
色々投げかけてたのかな。

 

 

今までは、
わたしの悲しいって感情を、わたしにどうにか見つけてもらう為に
夫や息子に、
「可哀想だね」
「ヒドイね」って言ってもらってた。

 

でも気付いてもらえた、"悲しみ"が、
何だか気が済んで、
浄化しつつあって、
もう前へ進もうとしてる。

 

そんなことを感じました。

 

 

そもそも、

 

わたしが望むようなことしてくれないから、
愛してない。
わたしが期待している反応が返ってこないから、
愛してない。

 

てことは、
お母さんはわたしを愛してない。

 

この、パターン、思い込みを、
わたしはずっと採用してきただけだった。

 

この狭き門を通ってこない愛は、
ないも同じだ、
と言ってきたワケです。

 

 

息子に話を聞いてもらった後に、
「なんかもー、どっちでもいいや!」
って、
手放したいような気持ちがわたしの中に生まれました。

 


わたしがわたしの気持ちに気づけたから。

 


お母さんが、
わたしの望むようなことしてくれなくて、
わたしのしてほしい反応がなくて、
わたしは、
悲しい。

 

これを、あの時言えなかったから、
ややこしく、こじれていたのかもしれない。

 

 

これからは、現実をどう見るか自分で決めれるんだなぁと
しみじみ感じ入ってる次第でございます。
 

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また気づきがあったら、書こうと思います。
お付き合いくださり、ありがとうございます。