はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

弱虫は強いことを分かってもらいたい

6歳の息子。

 

学校であったことを、
話してくれます。

 

友達が何人か出来て、
一緒に遊んだりしているみたいです。

 

喧嘩もします。


子供なので、
自分の気持ちをまだ上手くは伝えられませんが
ハッキリとは伝えているみたいです。

 

だからか、学校で
泣いているとか。

 

私は、羨ましいです。

 

 

 

 

息子が羨ましい


集団に居ても大きく自分を譲らず
偽らず
つまずいて
涙を流して訴える

 

こんな姿勢が彼の中に、
いつまでもいつまでも残っていて欲しいです。

 

それが、
生きていく強さだと思うのです。

自分という人間がこの世の中に一人しかいないのだから、
自分とは当たり前に違う人たちと
ひとつの所に居なければならないって、
どういうことかと言うと、
トラブルが起きます。

 

 

私は、トラブルが怖いです。
怖くて時々譲ります。

 

 

私が譲ってしまうワケ

 

怖さを感じるものに、
私は色んな物を譲ったりします。

 

今、一番に譲っているのは、
1歳の息子です。

 

自分のタイミングを譲ったり、
食べ物を譲ったり、
嫌だなと思う事を譲ったり。

 

それが、自分よりすごく小さい人と暮らすことなのかなと
悩みながらも学ぶ日々です。

 

 

1歳の息子の何が怖いのか。
私によって彼の中に、
悲しみが生まれるのがハッキリ言って怖いです。

 

まだ悲しみの中に彼を追いやる勇気がないです。


要するに、
彼の人生はもう始まっていて、
私が、一番最初に彼の心を色々と揺り動かす人物なのだと
自分の役割の失敗や成功に責任が持てずに、
逃げています

 

 

本当は私はこだわりが強いので、
トラブルは多いはずです。
その事を自分の深い所では、まだ認められずにいるのかもしれません。

 

 

 一人が集まって、出来ただけなのが社会

 

人は集団で生きている訳ではありません。
生きていて、
集団になっただけ。

 

だから、いつの日も、
自分が納得が出来ない事があれば立ち止まっていい。

 

器用にこなしたり、
世の中に慣れたような顔をするのが、
かっこいいことだと思わないで欲しい。

 

日本に居て、英語で話しかけられたら、
話せなくても恥ずかしい事ではないし、
人が当たり前に出来ていることに自分がつまづく事は、
つまづく人がいると、
世の中に教える事が出来ます。

 

スムーズに、
トラブル無く、
ニコニコに暮らせるなんて、
不健康です。

 

だれもこの世の中に言う事がない、なんてない。

 

黙って、我慢して、
うまくやる必要なんてない訳です。

 

 

おわりに

 

トラブルが起きた時に、
自分ならどう対処していくか、
対策を練らなければなりません。

 

泣いて訴えるか、
怒って感情を表現するか、
理詰めで話し合うか。

 

決して、
自分の気持ちを押さえ込んで、
姿も見えないその他大勢の集団の気持ち、なんてものに
譲らなくてもいいし、
そもそも集団には気持ちはありません。

 

同じようなトラブルが続くなら、
しばらくルールを決めて試してみる、なんて対策もあります。

 

 

世の中で生きていく為に、
自分だけの対策を作る必要があるんです。

 

息子がより良く過ごせる為に、
一緒に話し合っていきたいと思います。

 

そしてまた私も、
自分が毎日より良く過ごす為に、
考えています。

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