はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

怒りを使ってアピールしていた自分の気持ち

人前で、我が子を叱るとき、
感情的になっていました。

 

特に公共の場。
道路や、人が多い場所。

 

でも、この感情は自分の中にあって、
自分が生み出したものでは
無い時もあります。

 

 

 

自分の感情で出たか考えたい

 

"私は、ちゃんと社会常識がある人ですよ!”
”私、うるさい子供が嫌いな人がいる事も知っています!”

 

みたいなアピールが隠れていた時もあったなぁと今では分かります。

 

一匹狼で育児してんだ、みたいな背負いがある時ほど
このアピールは強く激しくなります。

 

 

その逆で、
程々に気心が知れている人の前では
あまり叱らない、むしろ、
今思えば叱ってもいいだろって事も叱らない事が多くありました。

 

 

これも、アピールだったような気がします。

 

"私は口うるさくない、細かい事は気にしませんよー”
”子供同士の事にあまり口出さない、いい親ですよー”

 

と、子供を使って大人に伝えていました。

 

 

どうしてアピールが必要なのか

 

こう言ったアピール、
どちらも、
”こんな私を許してね”
という分かりにくい、遠回りの自分の気持ちが
ビッチリくっついています。

 

 

そして、
そんなアピールをした時ほどドッと疲れ果てます。

 

相手が自分をどう評価するか、
ドキドキで
オロオロで
振り回されるからです。

 

自分という人間の価値を、
相手に決めてもらうので大変な思いをします。

 

子供を使って、自分の立場、自分の価値を、
表明するのに必死だったのです。

 

 

納得いかない頑張りが続くと起こること

 

そして、
社会で自分がどんな評価を受けるか、
全く想像出来ず
良く見せるのに必死で、
その頑張った分、頑張っているからいいでしょ!と
自分の親しい人にシワ寄せが行っていました。

 

 

私は特に自分の母親や夫にいきます。

 

母親にはたまに実家に帰ったとき、


「いつも実家に頼らず子育てしてるんだから、
 子供が少しくらい失礼なことしても、
 行儀悪いことしても、いいでしょ?」


という気持ちになって、
我が子のヤンチャ行為を見て見ぬふりしたり、
叱らずに知らんふりをしたりします。

 

 

自分だけが頑張っていると、
こんな気持ちに簡単になります。

 

自分だけの頑張りなんて、そんなモンです。
自分だけでは結局持てずに
当たり散らしてしまって、理不尽な方向に飛んで行きます。

 

 

そう言えばたまに、
理不尽なくらいのスピードを出した車が
子供たちの下校時に歩道を走ってきます。

 

乗っているのはいつも決まったおじさんです。

 

すごい怒っています。

 

多分、広がって歩くなって事なんだろうけど、
この人の頑張りは多分、広がらないように歩いて来たのかなと
思ってしまいます。

 

でも多分頑張り疲れて、頑張れなくて、
”こんなおじさんを許してくれ”と思ってんのかな。

 

でもね、理不尽な方向に飛んで来た怒りなので、
飛ばされた方はむかつきます。

 

私の嫌いなおじさんは、話し合いを待たずに急に喧嘩腰になります。

 

納得していない頑張りを続けるともう、
ギリギリで
いつでもキレる準備は出来ているのです。

 

 

おわりに

 

話は逸れましたが、
私は自分の価値を、
自分のコントロールできない子供を使って表明しようとすると、
とんでもなく疲れます。

 

 

子供は、自由です。
それをコントロールするということは
かなりの労力を使います。
そして、叱る基準が周りによって
いちいち変わってしまうのなら不自然なコントロールも時に含んでしまいます

 

 

 

私が決めた基準で、
私は怒る。

 

それが感情的になる時もあるだろうし、
冷静に叱れる時もあるだろうし、
基準は自分にあると
怒りや頑張りは、歪まずまっすぐに届きます。 

 

怒りを使って、アピールすることも
無くなるのです。

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