はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

おもちゃの空き箱を、断捨離して手放す

最近、
心の断捨離の記事が多くて
おうちの断捨離のことを書けてないので書こうと思います。

 

もう、
一ヶ月以上前になりますが、
うおおおおおー!
っと、
捨てた物があります。

 

おもちゃの空き箱です。

 

 

 

見かけると反応してしまうモノがある

 

特に、
早急に片付ける必要はないものほど
後回しにしてしまう傾向がありますが、
おもちゃの空き箱は
まさに、ソレ。

 

今は物置と化している、子供部屋のクローゼットの
一番上の全然使わないスペースに
この空き箱はあります。

 

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邪魔にならないっちゃあ、
ならない。

 

でも、
ここを見掛けるたびに
「おっ!」
「あるねぇ。」
と反応します。

 

 

何があるかと言うとね、
いつか必要になるかもしれないモノです。

 

 

いつ使う?おもちゃの空き箱

 

リビングに持って来たら、
やっぱり幅とりました。

 

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持ってくるだけで疲れたー!

 

中身はもう死んでるのもありました。

 

「これ!
 いつ使うの??」

 

と、
自分に厳しめに質問してみました。

 

 

「はい、
 メルカリなどに売る時に必要になるかと思います。」

 

 

と、
返ってきました。

 

 

 

 

おもちゃの空き箱の役割って、
なんでしょうか。

 

また、
自分に問い直してみます。

 

 

「はいっ!

おもちゃを我が家まで丁寧に包み込んで、
運ぶ時に使われるモノ。

ではないでしょうか? 」

 

 

「…ウム。」

 

「では、もう、役割は終えているね?
 …手放して…良いかね?」

 

 

「ハ、ハ、ハイッ!!!!」

 

 

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"かもしれない"は捨ててもいい

 

調子がいいので、
会話形式になりました。

 

 

わたしが、
おもちゃの空き箱を急にキュ〜〜ッとつぶして
まとめて捨て去った訳は、

 

もう、
役目が終わったモノは捨ててもいいんじゃないか
決意したからでした。

 


わたしは、

 

「おもちゃの空き箱を取っておいたら、
 いつかおもちゃをメルカリで売るときに、
 買い取りの値段が上がるかもしれない。」

 

と、
確かに期待していました。

 

この、
"かもしれない"が急に馬鹿らしくなったのです。

 

買い取り値段が上がるから、なんなんだ?
あの時の箱を、とっておけば今!と思うのかい?

 

そんな期待と不安にまみれながらモノを所有し続けること
そんなマイナスの考えのもと、収納し続けること
嫌気がさしたのです。

 

 

おもちゃの空き箱同様、
おもちゃ自体も
もう役目は終わっているはずです。

 

息子も充分に使い、楽しみました。

 

じゃあもう、
捨てても良いし、
箱がなくてもいいじゃない。

 

リサイクルしたいと純粋に希望するなら、
何でもいいから優しく梱包して送り出せばいいんだもんね。

 

 

おわりに

 

これ、
この、
いつか使うかもしれない
という期待と不安にまみれたもの。

 

モノだけではなく、
人間関係、
能力関係などにも同じように考えるクセがあります。

 

疲れます。

 

人間関係に置いては、
今後のことを心配してハッキリと気持ちが伝えられなかったり
能力関係に置いては、
技術を忘れないようにたまに思い出してはハラハラしたり。

 

 

もう、
今使わないものは
要りません、
と勇気さえ持って決別してしまえば
身軽です。

 

忘れた分、
管理を手放した分、
煩わしさが無くなった分。

 

必ず
新しい物が入ってくるような気がします。

 

そして、
わたしはいつだって新しいものを迎え入れて、
楽しむ準備を整えていたいのです。