はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

怒りに隠れたものに気付くまで

わたしは、
ずっと怒ってきました。

 

自分の怒りだけでなく、
人の分までプンプンを背負っちゃって、

 

 


自分が生きやすさを感じるようになってまで
生きにくい世界から
イチ抜けた!!
とはならず

 

 

あぁ!
もう!
どうしよう!
生きにくい世の中だから!

 

 

と、


誰かの不満を
誰かの怒りをまた
自分の体に憑依させて
その人の分までプンプンして生きていたことに
ようやく気付きました。

 

 

 

 

 

おばちゃんが怒っている

 

先日、
ゆっくりとした午後に
ドラッグストアで買い物をしていました。

 

 

歯ブラシを買いたかったので、
お店の一番奥の
ひとけのない
コーナーに
子連れでベビーカー引きながら向かうと、

 

わたしの母親世代のおばちゃんたちが、
3人で立ち話していました。

 

 

 

わたしが現れてすぐ、おばちゃんが

 


「最近の子連れのお母さんって、子供が病気で病院に来てるのに、
 スマホとか見てるのよねーーー」

「あたしたちの時代の常識では、考えられないわぁ〜」

 

て、言いました。

 

 

何だか、
ムとしましたが、
まぁ別に
わたしのこと言ってるわけじゃないし、
病院でスマホ見て何が悪いの、
そんなに悪いと思うなら注意せんかい、
って思って、
まぁ、
別に、
まぁ、別に

 

と思いながらも、
わたしの心の中にはいつのまにか
怒りの感情が
メラッと生まれていました。

 

 

このあと、
平常な顔をして歯ブラシを4本カゴに入れて
フフフーンって機嫌いい顔して
その場を立ち去りましたが、
メラリとした感情を連れて帰ってきてしまいました。

 

 

 

わたしが反応していたもの

 

うちに帰ってからずっと、
「なんでこんなに反応するんだろうなー」

 

とモヤモヤ考えていました。

 

 

心に引っかかるのは、
わたしが何かに反応している訳です。

 

 

そして、
ふと、
一週間くらいして
気付いたのです。

 

 

 

これ、
怒りじゃないや

 

 

悲しみだ!

 

 

 

 

でも、
なんで?

 

あんな、
どうでもいい、
おばちゃんたちの適当な愚痴に
惑わされる必要はないのに。

 


自分に対しての怒りじゃないんだし、
反応しなくても
いいんじゃない?


 

あのあばさんの愚痴の先の、
"最近のお母さん"が攻撃された悲しみを
代表で受け取り、
背負わなくていいんじゃない?

 

 

 

似た感情に反応する

  

わたしは、
あの時のおばちゃんの愚痴を、


あの人は、
誰にも認められない。
誰かに認めてもらいたいから
あんなこと言うんだろうなー
と勝手に分析していました。

 

ちゃちゃっと。

 

 

そして、
ちゃちゃっと分析してしまったからこそ
見逃している
自分の感情があることに
やっと気付いたのです。

 


その感情とは、

 

 

おー悲しい。
認められなくて悲しいよう。

 

 

という、
反応したわたしの気持ち。

 


あのおばちゃんの感情に、
多分だけど、
"誰かに認められたいわーー"という
おばちゃんの不満、悲しみに、
絶妙に
わたしの気持ちは、
似ていました。

 

 
わたしはわたしの気持ちを、
攻撃された人の分の怒りだと思って持ち帰ったけど、
それは、
自分の中に元々ある、
悲しみだったんだ。
おばちゃんはただ、見せてくれたんだ。

 

 

その事に、
ハッと気付いたのです。

 

 

 

おわりに

 

わたしは、
自分がどう感じているか、
すぐに見失ってしまいます。

 

楽しいけど、
疲れている

 

とか、

 

 

続けたいけど、
眠い

 

とか。

 

 

頑張りたいけど、
頑張れない

 

とか。 

 

 

自分にとって都合の悪い感情
特に分からなくなります

 

 

そしていつのまにか、
自分が何を感じているのか自体が分からなくなり、
そこから、
さらにひどくなると、
何も、感じなくなります

 

実際には、
感じなくなるのではなく、
感じていることを無視し続けているわけなんですが。

 

 

 

 

わたしはわたしを、
"認められなくて悲しい人"
"認められなくて怒っている人"
だと、
一旦認識することにしました。

 


それを自分に分からせる為に、
わたしは、
認められなくて悲しいという感情にマッチングした情報を全て
自分の中に取り込み、
反応している。

 

 

 


怒りを怒りとして認識できて、
その怒りが、
悲しみからやってきてることに
気付ければ
わたしにとって
生きやすいのですが、

 

悲しいという気持ちは、
わたしにとって
ごまかさないと!!
と思うよう出来ているみたいです。 

 

わたしは悲しんでいる、
と認識出来て、
今、また一歩を踏み出せそうです。 

 

 

そして、
これを書きながら気付きましたが、
わたしは何をそんなに認められていないと感じているんだろう。

 

そこをまた、
手放したいとこです。

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