コントロールは、されている事が分かれば、救われる。
母から5000円でお米を買いました。
「食べきれずに残ってるんだけど、5000円だったら安いよね?」と言われました。
無農薬で、15キロで、送料は母が出してくれるそうです。
「送料出してくれてありがとう!」と言って、
郵便局でお金を払ってきました。
母から、お願いをされた事なんてありません。
多分。
今回も、無農薬で、15キロで、送料は母が出してくれるすごいお買い得な
お米だったので私から、じゃあ買うよ!とお願いしました。
でもね、
5000円を払った後に、
何だか心がスカスカします。
これはなんだろうと考えているのです。
気付かないコントロール
郵便局で送金した後、
何だか体がフワフワとしました。
自分の気持ちに嘘をついている時は、
いつだって足元がフワフワします。
その時の私は自分の体を、
自分で操作していません。
いや、操作していると思い込みたくて
必死に地面を踏みしめますが、やっぱり踏めないのです。
最近になって気付きましたが、
この状態の時は私の心、体がコントロールされています。
コントロールをされ慣れていると、
新しい種類のコントロールには過敏に反応してしまうのに、
いつものコントロールには抗えない自分が居ます。
あまりにも自然に、
コントロールされるので、
考える隙もないのです。
コントロールはどこまでされているのか?
今回母から私は、2つのコントロールを受けています。
- お願いをしたくない母の願いを汲み取り、
あたかも自分の願いのように信じ込ませた。 - 5000円で買ってもらう事によって、
イーブンの関係を演出された。
親と子ではなく、一人前の大人のように扱ってもらっているような気持ちになります。
でもね、
一人前の大人がね、
自分とこで食べれないお米をね、
5000円で買わせますか?
頼むよ、私。
気付いて下さい、おかしな仕組みに。
相手の頼まないお願いが、私には聞こえます。
超能力でも何でもありません。
相手が、
頼んでお願いしなくてもいいように、
私をコントロールしているのです。
こないだは、
高そうな健康グッズが母から届きました。
そして、
田舎料理も。
ふきやたけのこを使ったお惣菜が一緒に入っていました。
どちらもお金や手間が掛かっているので、
ありがたいと思わなければなりません。
お惣菜は子供は全く食べてくれず、
私が頑張って食べましたが、そんなに食べられずに腐らせました。
健康グッズは、
使い勝手が悪く、使わなくなってしまった物もあります。
そして私は心が痛むのです。
食べきれない程の量の物、
好きではない物を、
残したり、使わない自分が、ひどい奴って。
一瞬思ってしまうのです。
本当にそうでしょうか?
おわりに
"あなたの為に"、とお米も健康グッズも送られてきました。
だから分からなくなるのです。
私の為にやってくれているのに、どうしてこんなにも私は
苦しく感じるんだろう。
でも、
「お米を無駄にした自分を受け入れられないから、あなたが買ってくれたら助かる。」
とか、
「あなたの健康が損なわれた時に、心が耐えられそうにないから健康でいてくれると助かる。」
とか言ってくれれば私は、
はいそうですか、となって自分の良心は痛まずに済みます。
そして、
そんな風に思っている母を許さない訳がありません。
"あなたの為"という世にも都合のいい言葉が、
私を苦しませます。
でも、一方で
そんなに人は正直にあからさまに本音をさらしては生きてないよね、
とも思います。
要するに、私は、
"あなたの為"という言葉の裏をちゃんと意識して、
コントロールはされるより、
した方が良い(自分を)と思いながら、
フワフワせずに母と付き合っていきたいなぁと思うのです。