はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

頑張れない、と思っている時に許してあげたい

すごい頑張るクセ、が私にはあるみたいです。
頑張ってる総体量で言うと
そんなに多くは頑張れないのに、
自分の身の丈を超えて、自分に多くを求めてしまいます。

 

そもそも、私の働きは一見普通なのに、
どうして頑張らなきゃ頑張れないんだろう、と考えます。

 

 

それは、多分、
生きているだけで自分の中の多くをコントロールしていて
頑張って生きているからなんじゃないかと
ふと思いました。

 

 

私は、自分を肯定できる言葉をあまりもらわずに育ちました。

 

いつの日も役割をこなしたり、
自分の力以上のことを成し遂げたりする事で、
"ワタシ"という人間は認められてきました。

 

大人になって、
自分の生きにくさに気付き、心の事を勉強しました。
本を読んだり、調べたり。


自分の家庭、自分の子供には、
こういう悲しみとは無縁の世界を作ってあげたいと思いました。

 

 

でも、ワタシはワタシの持っているモノを使いながらしか
生きていく事はできません。

 

色んな人、色んな考え方から少しずつお借りしながら
生きていても
それでは間に合わないこともあります。

 

自分が、自分らしく居る時に
自分では望んでいない一面が顔を出すことがあるのです。

 

その一面は自分にとって、自分の理想にとってはとても都合が悪く、
とても直視できるモノではありません。

 

自分がなりたいと思っている自分ではないので、
今すぐ何とか捨てたいと思うのですが、
捨て方が分からないのです。

 

なぜ捨て方が分からないのかと言うと、
それは紛れもなくワタシの一部分であり、
嫌いでも、
許せなくても、
これが"ワタシ"なのです。

 

自分が沢山もらったモノで
そのまま人生を歩いて行き、
足りないモノはもらったり、あげたりしていく人生は
なんてスムーズなんだろうと思います。

 

ワタシは、自分のもらった物の
ほとんどを捨て去らないと、
生きていくのに自分が歩きやすい人生を作れない。

 

要するに、
必死に自分のかけらを捨て、時に拾い集め、増やしながら、
歩いているのです。

 

ワタシには満足な心がありません。
それでも、家庭にいて、
子供たちと触れ合う時には、こんなに不満足なかけらでできたワタシから
子供たちは、何かを取っていきます。

 

でも、
自分では何かが足りないと感じているワタシでも、
子供たちは、足りないと言わないので、
ワタシは子供たちの前では充分な
ワタシです。

 

 

 

自分の要らないものを捨て去りながら生きていくと言うのは、
すごく自分に厳しい生き方です。

 

自分にあるモノの中で生きていくのが一番ラクだからです。
だからワタシは、
それをしながら生きているんだから、
頑張れない日があっても、
本当の所では
頑張りすぎていて、
頑張れないんだ、と許してあげようと思います。

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