はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

わたしが居ないところでわたしの友達が、わたしじゃない人と遊んでるのを知ると、悲しくなる

わたなべあいみです。@indigoberrying • Instagram photos and videos

 

 

今日は、わたし、
どうしてわたしが居ないところでわたしの友達が、
わたしじゃない人と遊んでるのを知ると、
悲しくなるんだろう、
ということを考えています。

 

 

わたし、
その感覚が中学生くらいからずっとある。

 

 

その時、
わたし、ずっとうちのお手伝いしたり、
お母さんの遊び相手になったりしていて、
友達と遊びにわざわざ日曜日とかに出かけるのダルかった。

 

遊びたくなかった。

 

だって、
わたしは背負っていたから。

 

今となっては、
他の友達もそれぞれに背負っていたものがあったんだろうけど、
わたしの背負っていたものは、
その時のわたしにはすごく重かったんだよね。

 

洗濯、掃除機かけ、風呂掃除、玄関掃除、茶碗洗い、食事づくりの手伝い、
家事を完璧にこなそうとするお母さんのもと、
やってたし。

 

 

わたし、
こんなに働いてる子供、
この世にはいないと思ってたから、
みんなと違うって思い込みが邪魔して、
遊ぶ気にもならなかった。

 

 

あと、
お父さんが死んだので、
感覚が周りの子供と違ってしまった。

 

 

遊ぶって何だろうね。
みんな何して遊んでるんだろう。

 

わたしは、
この時の疎外感みたいなやつが認められなくて、
遊んでる人はクダラナイって思うようにしてたのかも。

 

 

だから、
今も、自分から友達を遊びに誘うことなんてほとんどないよ。

 

 

 

わたし、
こんな風に言ってくれる友達と遊びたい。

 

子供なのに、すごいね。
遊びたかったのに、すごいね。
お母さんみたいだね、すごいね。
ワガママ言わないでうちの仕事やって、すごいね。
弟たちをおんぶして、すごいね。
弟たちを笑わせたりして遊んであげて、すごいね。
学校の勉強もやって、両立させてたなんて、すごいね。
寂しいって言わなかったの、すごいね。
手を抜かないよう努力してたの、すごいね。
一生懸命で、すごいね。
弟たちを守ろうとしてて、偉いね。
いつも家族のムードメーカーになってたの、すごいね。
引きこもりにならなかったの、すごいね。
お母さん厳しくても、何とか上を向いて、生きてきたの、すごいね。
言われてたお手伝いサボって、怒られて、「ごめんなさい」って言えたの、すごいね。
ご褒美とか見返りとか、求めずにやってたの、すごいね。
疲れて休んでたのに、怒られて、「ごめんなさい」って言えて、すごいね。

 

そんで、
そういうこと言ってくれる友達が、
いつもわたしとだけ遊んで欲しい。

 

 

不可能かな?
不可ですか?

 

 

可能な人が一人だけいるよね。

 

ワタシだな。

 

そうです、ワタシです。

 

こんなに隅々まで、ストーカーみたいに、
評価してくれる人。
ここにしか居ませんな。

 

わたしはもっと、
わたしと遊んであげたいな。

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わたしの感覚、 わたしのセンスを、 一番分かってあげられるのは、 わたし、しか居ない

昨日、外野がうるさくてせっかく書いたのに投稿できなかったから、
昨日の書いたのそのまま投稿するね。

 

 

わたなべあいみです。@indigoberrying • Instagram photos and videos

 

 

今日は、
あたたかい一日でしたね。
朝から公園に1歳の息子と行って、
誰も居なかったから滑り台の一番上に息子と登って、
そこで、ダベって過ごしました。笑

 

小さい頃、
外に住みたいって思っていたことを思い出したよ。

 

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今日ね、
初めて、
わたしはわたしが
あんまり好きじゃないなってことに気づいてしまった…

 

キッカケは、
この日めくりカレンダーす。

 

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コレね、

この日めくりカレンダーを、
我が家では気に入って使ってるんですが、
今日ほどこの言葉に耳を貸した日はないね。

 

あなたのコンプレックスを愛してください。
まるで愛しい恋人や我が子のように。

 

わたし、
素直なので、
毎月4日に出てくるこの言葉を見るたび、
愛してました。

 

自分のコンプレックス。
顔とかね。
性格とか。かな。

 

でもね、
昨日わたし、自分のこと"スッカラカン"だと思うような出来事が起きまして。

 

スッカラカンっていうコンプレックスが加わったんですね。

 

だから、
この日めくりカレンダー、朝起きて、
誰も居ないリビングで(夫と息子が出かけた後)、
めくってから、
しばらくその場でうずくまりました。

 

スッカラカンコンプレックスのある自分を、
全然愛せない。
んですけど。

 

 

 

どうもがいても。
どう足掻いても。

 

ダメみたいなんですけど。

  

って、あわわってなった。

 

 

そんで、
何だか公園に行きたくなって行ってきましたよ。
(居てもたっても居られなくなって)

 

 

 


わたしは他人の言ってることに、
すぐに順応したり、納得したりしてしまって、
自分の言ってる綺麗事にも、
簡単に納得して、それは綺麗事って気づかないことがある。

 

で、
誰かに"大丈夫"って言ってもらい時がある。
いや、
"それで大丈夫?"って言ってもらいたいのか?

 


それをね、
わたしは一番身近な夫や7歳の息子にやってもらうんだ。

 

それで、
ただ"大丈夫だよ"って言ってもらいたいんだ。

 

 

 

でね、
こんなことが何で起きてるかというと、
自分で自分のこと受け入れてあげれないからこんなことになってる。

 

わたしを飛び越して、
夫や息子に、わたしを理解することを要求している。

 

夫や息子に、
わたしの操縦頼んでるようなもんだ、これ。

 

わたしの操縦席、その都度誰かに乗ってもらってるから、
いざという時、
自分が自分の操縦席に座った時、
不安で不安で仕方なくなる。


誰か、代わりに、
座ってーーーー!!
て、本気で思ってしまう。

 

 

だから、
スッカラカンなんだよね。

 

 

 

それでね、
不思議だけど、
スッカラカンな自分が"キライ"な自分、を見てあげた時、
何となく、
ちょっと満たされた気持ちになったのよね。

 

あわわって気持ちが、
ウンウンって気持ちになったんだよね。

 

コレは、
不思議な感覚だったよ。

 

 

スッカラカンな自分。
それを嫌った自分。

 そして、
もう一つ出てきたのが、もう自分で自分の操縦したくなってる自分に
気付いたんだよね。

 

だって、ほら、
わたしの感覚、
わたしのセンスを、
一番分かってあげられるのは、
わたし、しか居ないからね。

 

 

わたしに操縦させて!
わたしが一番わたしの操縦上手いよ!
っていう声が大きくなってきたんだよね。

 

だから、
もう操縦始めようと思います。

 

わたしが人生で、言われて一番嫌だった言葉、傷ついた言葉

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昨日、
車の中で30分間くらい7歳の息子と時間潰さなきゃいけなくて、
わたしはSNS
息子はゲームでフンフン過ごしました。

 

時間潰すのって、
結構好きです。

 

 

色々読んでたら、昨日は
やたら『モラハラ』って言葉が目につきました。

 

 

それで、コレを機にわたしが
人生で、言われて一番嫌だった、傷ついた言葉ってなんだろうって頑張って、思い出してみました。

 

 


 

あんまピンと来なかったから、
息子にまずインタビューしてみた。

 

 

「ボクね、小さい頃、←(今も小さいけどね)おおきな木、みたいな話をテレビで観てね、
それで、
その木がどんどん枝とか切られちゃって、
小さくなっていくの。
それが悲しくて、泣いちゃったんだよ。」

 

って答えてくれました。

 

「へぇぇぇーーー、そうだったんだ。何かそんなこともあった気がするね。」
なんて言いながら、
一人泣きそうになってた。笑

 

 

やっっさしーーーー(優しい)泣
と思って。
なんて、
感情が豊かで想像力豊かで、優しいんだ…。

 

 

我が子ながら、
誇りに思えました。

 

 

少し前のわたしだったら、きっと、
自分を責める材料に使ってただろうな、このこと。
息子の優しさ、繊細さ、
それを、
"わたしが枝葉も切って、のびのび育ててあげなかったから…"
と、置き換えて、
北国の寒々しい空の下、
荒れ狂う波を見ながら、
しみじみと悦に入って考えたりしてただろうね。

 

自分、いじめてね。

 

もし、
枝葉を切ってしまったのがわたしでも、
こんな風に言語化しにくい悲しみを感じ取れる子に育ったなら、
なんか、
すごい。

 

なんか、
そっちの方がわたし好みだ。
わたし、そのためにもしかしたら枝葉を切ったのかもしれないよ。

 

と言いたくなるほど、
感動したのでした。

 

 

それで、
まぁ、
ここまでは前置きなんだけど、

 

わたしも思い出した。

 

 

友達に、
言われた言葉とか。

 

 

母に言われた言葉とか。

 

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一番最初に思い出したのは、
わたしが子供を産んで間も無くの頃、
未婚の友人から、
「結婚して、お母さんになってっていう普通の人生は嫌なんだ。」
って悪気なく言われた時、
すごくモヤモヤしたし、
前にも、母に、
あいみちゃんみたいな普通の人生が一番いいのよ」
って言われて、
モヤモヤしたこと思い出した。

 

そんで、次に思い出したのは、
高校生の頃、
あいみって、鶴瓶に似てるよね」
って同級生に言われて、しばらく"鶴瓶"って言われたこと。
多分、
いつもヘラヘラしてたからだろうね。
鶴瓶さん嫌いじゃないんだけどね。
社会人になって、
いつも面白くないことばかり言う仕事上での先輩?みたいな人にも、
「いつも、何言ってもヘラヘラしてるよね?」
って言われた。

 

 

他人から言われて傷ついた言葉って、
自分が自分にしてる評価なんだって。

 

 

わたしは特に自分に対して厳しかったから、
いろんな言葉に反応してたと思う。

 

 


"普通"って言われて許せなかったのはどうしてだろう?
ヘラヘラしてる自分が嫌いだったのはどうしてだろう?

 

 

そこに、
向き合わなければならない本当の課題があったんだね。

 

 

わたしは、
自分の中の"普通"の部分が許せなかった。
そして、
こんなに頑張って生きてきたのに、自分を"普通"と評価している自分も許せなかった。

 

 

嫌いなことから、
逃げない自分も許せなかった。

 

嫌ったり、
笑わなかったり、すれば良かったのに。

 

自分のやりたいように振る舞えなくて、
苦しかったよね。

 

 

特別だって思われたかったし、
嫌われたくなかったからね。

 

 

そうやって頑張って生きてるのが、
わたしなんだよね。って思ってあげようっと。

 

 

今回はヘビーな内容だったので(わたしにとって)
何度も下書きに戻しちゃった。
読んでくれた方ありがとう。

 

足したり、 増やしたり、 多くを提供したり、 とかの世界からは身を引く。

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わたしは今、焦っています。
自分の欲求をどんどん叶えていくと、
ある壁にぶち当たったからです。

 

「それで、わたしは本当は何がしたいんだろう…」

 

そればかり、
強迫概念のように考える日々を送ってる。

 

 

今まで、のんびり構えて断捨離のブログを書いてたら、
自分よりもドンドン行動を起こして
先を行っているようなブロガーがいる。

 

サロンやら、ワークショップやら、
起業やら。
ドンドン行動に起こしちゃえる人を見て、
怖くなる。

 

わたしも、
勇気出さなきゃ!
待って!わたしも連れてって!

 

て、
悲しくなる。
喚きたくなる。

 


先に行ってる人たちをわざわざ、SNSとかで見つけてるのは
自分なのに。

 

 

焦りまくって、
自分を責めて、
あんまり安眠もできてない。

 

体が緊張してるのか、
単に息子が夜泣きするのか。

 

夜中に目が覚めて、
ギンギン考えまくって眠れなくなる。

 

常に頭を占めている思考は、
「本当にやりたい事、何かやらなきゃ!早く!行動に移さなきゃ!」
そんなところでしょうか。

 

 

でね、
あーもうだめだ、
わたしってダメダメだって思ってた時に、
「あ、待ってよ、
わたしの土俵ってそれじゃないんじゃない??」
って、気づいて。

 

 

わたし、
自分に足すって行為をやってるわけじゃない。
自分から引くって行為をやってるんだった。

 

手放したり、
やらなかったり、
すること、
やってるんだった!


足したり、
増やしたり、
多くを提供したり、
とかの世界からは身を引く。

 

それ、
してるんだったなぁと思ってようやく自分をヨシヨシしてあげれたのでした。

 

沢山、読んでもらいたい、とか、
フォロワー数を増やしたい、とか、
今までのわたし、
何もかもたくさん自分に取り入れていたわたし、が考えていたこと。

 

 

今、
わたしに許可してあげたいのは、
自分の自由な表現です。

 


それを今までは、真剣にやって来なかったから。

 

わたしを少しずつ、
ピリピリ皮を剥いていって、
もう剥けません、
コレ、身ですけど。
ってところまでいく。

 


わたしの発信できることは何か。
それは、
わたしと言う、"身"の人間はどんな人間か、
自分で分かるようになるまでの軌跡、だ、ね。

 


ここで、自分がどんなことを考えてきて、

 

自分がどんな風なことを考えられるようになっていくのか。

 

そういうのを、
自分に見せてあげたいな。

 

 

 

認められなきゃ価値はないって考え始めたのはいつからだろう。
沢山頑張らなきゃ、って信じ込んだのは何故だろう。

 

そこを緩めて紐解いていくことに、
わたしの課題があるんだ。

 

足りない足りない、欠乏してる、と感じる場所を、
見当違いのもので埋めようとしてたなぁ。

 

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新しいことを始めるとき怖くて進めないなら、考え直したいこと

こんにちは!
わたなべあいみです。@indigoberrying • Instagram photos and videos

 

 

何かを始めるときに、
足かせになる事ってありますよね。

 

わたしは、大いにあります。

 

 

それで、
何が足かせになっているか、
ハッキリと把握することが、
その足取りを軽くする事に繋がるのですが、
まぁ大体、

 

"失敗"

 

 

これが、怖いです。

 

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でも、
失敗と一言で言ってもこれを怖がる理由には、
二つあると思ってます。

 

 

一つ目は、
失敗するかどうかが単純に怖い。
不安。
成功する自分をイメージできない、自分を信頼できない、
自分の力に対する不安をいっぱい持っている、
過小評価、
まぁわたしはこの傾向が非常に強いです。

 

 

二つ目は、
失敗するかしないか、
それも怖いけど、
そもそも挑戦する事を笑われるのが怖い
これ、わたしは意外と平気なんですが。
人の目が気になる、頑張ってる人を見ちゃうとバカにしてしまうから自分もされそう、
本気で挑戦して失敗した後に人からバカにされるのが許せない、
とか言ったところでしょうか。

 

 

 

どちらも、
何かに挑戦して失敗した時の経験から、
自分に刷り込まれている思い込みだと言う事が分かれば、
何を手放せば良いのか自然と分かってきます。
まぁ手放すのはすごいバンジーなんですが。

 

 

とにかく勇気を出すしかない。
あーヤダヤダ。

 

 

でも、
なんでこんなにコワイコワイって刷り込まれているかと言うと、
失敗したときに、
自分の精神の生死に関わるような人からの
支援がなかった、
ということが関係しているんじゃないかと思って。


  

わたしみたいに成功するか不安で不安で仕方がないってのは、
挑戦するまでの道のりに、
「あなたならできるよ!」と言う声がけがなかったか、
または「できるはずない」と信じてきたか。
失敗したらその人の人生にも関わるほどの、
大変なプレッシャーを感じる挑戦しか出来なかったとか。

 

 

で、
笑われるのもコワイってのは、
一人だけなんか、頑張ってる気がすると言う期待を背負わされていたタイプとか。
支援してる人自体、なんの挑戦もしない人で熱量が違う、とか、
失敗した後に、そっとしてもらえなかったとか。

 

 

自分が望んでいた支援ってなんだろう。

 


例えば、わたしみたいなタイプは、挑戦するとき捨て身です。
侍のよう。自爆覚悟です
挑戦することは決まっていて、
あとは死ににいく覚悟を勝手に決める。
わたしは独りだって勝手に決めちゃう。

 

なんででしょうね。
失敗しても死なないのに。(わたしの挑戦は)

とにかく程よく失敗して、
次に繋げればいいやって思えずに、
これが失敗したらこの界隈からは身を引こう、みたいな。
そう考えると安心します。

 

だから、
仕事で失敗とかしたら、すぐ辞めたくなる。

 

 

ほんで、
笑われるのが怖いってのは、
行動するところから、もう人の目が気になるからこれが重いでしょうね。
なかなか進めない。
あと、
自分がどう挑戦したいかと言うより、
笑われない挑戦をまず選択してしまうので、
本当に挑戦したいことじゃないこともあり、
前向きになれない。

 

 

とにかく、
これらに気づいてみる。

 

これは、
挑戦するにあたって一番低いハードルじゃないのでしょうか。
これなら飛べてるな。

 

で、次に、
わたしが独りじゃないとしたら(思い込みを捨てて)
どんな支援をされたかったか?
その支援、自作自演でやるか、
信頼している人にお願いして、
やってもらえたらどうだろう?

 

そしたら、
また次のハードルまた飛べたって事にならないかなん。

 

 

怖がらないことが大事なんではなく、
何を怖がっているのかを知るってことも、
もう挑戦のステージに立っている
と言うことかもしれないなぁ。

 

 

はーーー
コワイ。

 

 

で、
一番大事なのは、
挑戦はコワイって最初は誰が決めたかもわからない価値観なはずなんですよね。

 

誰かの価値観を引き継いじゃってるわけです。
だってだって、
うちの7歳の息子。
何度怪我しても、
公園のケンスイで危ないことしようと挑戦します。

 

1歳の息子なんて、
まじでこないだ納豆をスタイなしでいきなり食べ初めて、
周り一帯が納豆まみれ。
あのキャッチするスタイ、
今、すごい拒否するの。

 

洋服いつも醤油やココアや米粒ついてます。

  

だから、
本当は怖くないんじゃないでしょうか、挑戦すること自体、オレたち。
そんなことを考えています。

 

 

生きてるだけで有り難いと思った直後なのに、子供にブチ切れました。

おはこんばんちは。

 

パソコンをアップデートしたら、
キーボードを打ってる間にもやたら変換を自動でするので、
おはこんばんちは、
と、ひと思いに打ちたいのに、
おはこんばん地は
とか
おはこん版地は
とかになるので、
あぁーあぁー言いながら打っています。

 

特に、
この挨拶が評判が良いわけでもないので、
辞めちゃおうかなとも思っています。

 

 

ところで、
昨日7歳の息子のことで頭を悩ませてたら、
息子が宇宙人にさらわれていく夢を見ました。

 

光り輝くスポットライトに照らされて、
少しずつ上昇していく息子を見上げながら、
「やめて!!やめて!!」
と何度も息子の名前を叫びましたが、
どんどんUFOに吸い込まれていく息子。

 

UFOが飛び立った後に、
めちゃめちゃUFOを罵ったのですが、
あいつらミサイルでバスバス攻撃してきて、
ほんと悲しいやら怖いやら。パニックしました。

 

Xーファイルのモルダーの気持ちが痛いほどに分かりました。
大切なひとが宇宙人にさらわれるってこんなに怖いことなんだと。
そもそも、
Xーファイルの見過ぎが影響して、こんな夢を見たのであろうから、
クソーって感じもしますです。

             

 

前置きが長くなりましたが、
こんな惨劇が、夢落ちで終わり、
ホッとして、あぁ、ただ生きてるだけでありがたい、
と、思いながら、
今朝、息子に朝ごはんのおにぎりを握っていたら、
海苔が切れていたことに気付き、
海苔ないまま出したんですが、
「海苔ないなら食べない!他の出して!!」
って言うんですよー

 

どう思いますー?! 泣

 

生きてるだけで有難いはずなのに、
海苔ないだけで!!
大騒ぎ!

 

それで、
わたしもすぐに対応しまして、
怒りました。

 

怒りに対応したわけですね。
クレームではなく。

 

  

 

で、
思い返してみました。

 

わたし、
怒ったあとって必ず反省してます。
あぁ、また感情的になってしまったって。
昨日もブログに書きましたが、
感情的に怒った後に、
あぁこんなに感情的になったのにはきっと深いわけがあるに違いないって。

 

indigoberrying.hatenablog.com

 

まるで、反省マニアです。

 

 

こんなに悔しいことはありませんが、
わたしは感情的な人、と認めれ!
と、腹を括る時期が来ている気がする。

 

でね、
それは、
感情的な人になったと言うより、
自分の感情がわかってきた、と言うこと。

 

出やすくなってきたと言うこと。

  

何を感じているか分からなかった頃や、
感じてるものに混乱していた頃より、
いいってことです。

 

最近のわたしは、
怒ってばかりです。

 

こんな関わり方はやめたいのだけど、
自分の怒りさえも、
大切に扱って小出しにガス抜きしてあげたいと思っているのです。

 

怒るわたしも、
大切なわたしの一部。
 

 

 

子供の怒りなんてないように押さえつけられて育ってきた自分を否定すると
子供が自分のようにならないように、
大人の自分がまた必死に我慢するから。

 

 

 …ってことにして、
怒った後の反省をやめてしましたいのですが。

 

なかなか、
好きでやってることなのか、
やめられませんです。 

 

本当に頑張って、
生きてるなぁ。

 

どう感じたらイイのか、分からなくなる人

おはこんばんちは!

 


"正論かどうか"
"教科書に書いてあることかどうか"
で、
自分の心の感じ方を決めてしまおうとすることが、
わたしにはあります。

 

 

昨日、
息子と激しく衝突したのですが、
怒りがすごくて、
すごくてすごくて、とても自分では正視することができない自分が出てきました。

 

 

それで、
苦しくなって、
この気持ちをどう分析すればイイのか。
どのように捉えればイイのか。
分からなくなってしまい、ブログやら本やらを読み漁り、
なんとなく着地点がわかって、
ウンウン言ってたとき。

 

 

もう一度、
自分に聞いてみました。

 

 

「あれだよね。
 過去の自分がまた反応してる、で、
 ファイナルアンサーだよね?

 

 相手は自分の鏡だから、
 分かってあげたらイイのよね?」

 

 

そしたら、

 


「は?ワシそんなこと思っとらんけど?
 ワシにあるのは、
 単なる怒りだけど?」

 

って、
言われてしまいました。

 

 

要するに、
飲み込もう飲み込もうとしていたものが、
まだ熱くて全然飲み込めないのに、
「あ、これの飲み込み方はね…」
と、飲み込みたくない気持ちをすっ飛ばして
その飲み込み方のHow toばかりを探すのです。。

 

 

いやー、
ビビるな。

 

 


はっきり言って、
なんかいけないくらいのパワーの怒りがわたしには、
あるのです。

 

そして、
決まってそれは、
自分で自分を責めてる時に、
重なって周りからも責められる時に、
大爆発します。

 

 

昨日の息子は、
わたしが少しだけ先にお風呂を上がっただけで、
すごい剣幕で怒り、
服を着るな、
もう一度風呂に入れ、
服を脱げ、
と、ギャーギャーギャーギャー泣き喚いて、
彼にも彼の事情があるのかもしれない、
となんとか思おうとしたけど、ダメで、
わたしも大爆発。

 

 

この出来事の意味を早く、
解読したくて、
何か意味があると知りたくて、
いそいそいそいそ先回り。

 

 

まるで、
どう感じたらイイのか、
思考が感情を干渉してるみたい。

 

 

ワシにあるの、
怒りだけだけど?

 

 

って、
認めてあげたらまたスーーーッとしました。

 

 

何故怒りがあるのか、
何故反応してるのか、
そんなのは後だな。

 

 

わたしは、
今怒っている。

 

 

 

シンプルに口が臭い、
あ、間違った、
シンプルに怒ってる。

 

それだけで、いい。

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