はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

過去を清算しないと決めれば、今がシンプルになる①

子供同士の関わり合いを見ていると、
いいなぁと思う事があります。
嫌な事をされても、
割りとパッと切り替えが出来ます。


すぐにまた笑い合って前へ進んでいる。

 

"許す”ことを、自然に出来ているなぁと思うのです。

 

 

私はと言うと、
嫌な事をされると、
割りと早い段階で切り替えは出来ますが、
許しているかというとそうでもありません。


後になって頭の中でネチネチと批難したり、
許さなければと思って勝手に焦ったりして
自分の中に感じる怒りを何でもないことだと思い込むのに必死になります。

 

頭がそのことにとらわれて
難しいことを考えないと前に進めません。

 

これはすごく生きにくいです。

 

 

私は、
目の前にいる人を批難したり、
評価したりせずに生きられたら、
どんなに軽やかだろうと思うのです。

 

 

 

ある日、母から電話がありました。
私の弟であり、母にとっては可愛い三人兄弟の末っ子の次男が
結婚するかもしれないという内容でした。

 

私はすぐに、母は"寂しさ"から電話をしてきたのだという事が分かりました。
けれど、母の電話を聞いていて
イライラしてしまい、
その寂しさに寄り添ってあげる事が出来ませんでした。

 

何故なら、
私は母から過去に無意識に受けていた"えこひいき"の
被害者だからです。


母が弟ばかり可愛がり、
手をかけることに納得がいっていなかった過去を
母の些細な言動や行動で思い出し、
母を許せないという気持ちが
ムクムクとわき上がってくるのです。

 

つまり、
目の前の母に反応しているのではなくて、
過去の母に反応しているのです。

 

けんか腰に電話を切ってしまった後、
母の悲しみを馬鹿にした自分に後悔して、
しばらく時間を置いてまた電話をかけ直しました。

 

母の悲しみに寄り添ってみたいと感じたからです。

 

母は落ち着きを取り戻し、
声にいつもの調子が戻りました。

 

 

 

私の心には、
過去の出来事をいつまでも根に持ち続けていて疲れている
自分が映りました。

 

いちいち、今感じることに
過去の感情を持ち出して
清算させるかのような会話をしなければいけないことに
疲れたのです。

 

そのとき私は、
過去に反応出来なかった自分を守る為に、
それを正当化する為に、
エネルギーを使う必要はないのかもしれないと気付きました。

 



傷ついた過去と、
自分の感情を認めてあげれば、
ただ悲しいという心だけが手元に残り、
私はこの悲しみを手放すことが出来たら
前に進めるのではないか。

 

子供の前向きな、今を見る力がそれを教えてくれたのです。

 

 

そしてその過去に感じた悲しみや怒りを持ち続けることを手放すと、
思考がシンプルになり、
心が感じやすくなります。

 

今感じることだけを持って
生きていけばいいのです。

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