はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

この世で一番可愛いと言われたかった

自分のことを、
正しく見る力というのは
いらねーなーとしみじみ感じます。

 

正しく見るとは、
一般的に
とか
普通は
とか
そういったモノで自分をみて、
いいかどうか決めることです。

 

誰が決めたか分からない正しさで生きていると
自分がどんなことを思っているか、
自分がどんなワガママを言いたいのか、
自分がどんな人間なのか
分からなくなってしまいます

 

 

そんな風に毎日、
自分が分からなく生きていると
毎日見る空は灰色、
毎日食べるご飯はそんなに美味しくなく、
楽しいはずなのに、
笑えない、
そんな日々になります。

 

 

 


私は高校時代、
母に「クラスでは7番目かな。」と言われた事があります。

 

母が私のクラスの集合写真を見て、
可愛い人から順番をいきなり付け始め、
7番目に私が選ばれた訳です。

 

 

私の高校時代、
クラスは可愛い子ばかりだったので
7番目て、結構良いじゃんて言いたくなりますが
私の母は、
芸能プロダクションの人でも、
女の子を値踏みする男子でも何でもありません。

 

その出来事は、
名誉な事ではありませんでした。

 

 

 

やっぱ、
一番だなー

 

と、

一番可愛いよ

 

と、
言われたかったです。

 

 

その気持ちに気付いたのは、
『半分、青い』
を観ていて。

 

主人公の鈴愛ちゃんが、おかあちゃん
「鈴愛が一番の美人さんに見える。」
「この世で、一番可愛いと思っとる。」
と、
言われてしまう訳です。

 

あーーー、
そうよね。

 

やっぱ、
そういうこと、
言われたいよね!!

 

言われてもいいよね!!!

 

 

なぜか
古傷が痛んだのか
涙が止まりませんでした。

 

 

一番可愛いよ、
と言われたかった自分に気付きました。

 

 

 

そして、
私には娘は居ませんが、
娘がいるお母さんは、
自分の娘が一番可愛いって
思いたいよね。

 

思わせてくれよ。
言わせてくれよ。
って、
私に娘が居たら、
多分言えないんでしょうけど、
言いたいなぁー
言ってみたいなぁー
と思うのです。

 

 

 

自分の価値は、
だれが決める訳でもない。

 

自分の中の、
自分が、
「可愛いのかな、わたしって」
と思えれば、
自分は可愛い。

 

そして、誰かを素直に可愛いと思えるし、
それを伝えることが出来て、
世の中平和だなー

 

と、
ふと
思いました。

 

 

 

鈴愛のおかあちゃんは、
食堂をやっていて、
やっぱ可愛いから、
「可愛い」という言葉をいっぱいもらっているのかもしれない。

 

そしてそれが、
お母ちゃんの心を満たしていて
「可愛い」の言葉のお裾分けが出来るのかも。

 

女の子のお母さん、
自分のことをいっぱい可愛いと言ってくれる人を見つけて、
満たされて下さい。

 

自分でも、いっぱい
可愛いって思ってもいいと思う。

 


女の子のお母さんってだけで
可愛いと思ってもいいと思う。

 

そして、
充分に味わって、
もう要らないわよーおほほ、となれば
しめたもんだな。

 

そんなお母さんに、
「一番可愛い」って言ってもらいたかったけど、
まぁ今は
男だらけの我が家で、
我が家の男たちは皆、私のことを可愛いと言ってくれています。

 

女王のような立ち位置です。

 

なので、
自分は「7番目に可愛い」と思う人生を、
そろそろ手放したいと
思っています。

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