はじまりは今

7歳と2歳の子供がいます。何もありませんが、あるものは全て出し切って子育てしています。持たない暮らし、持っていた暮らし、色んな視点から観察したわたしの生活を綴ります。

頑張っている人を見たときに感じる不安は、どこから?

昨日、子供を抱っこしながら
見晴らしの良い農道をのんびり散歩していたら、
ワンボックスカーが一つ隣の農道を走り去りました。

忙しそうなお母さんっぽい、女性が運転していました。

 

私って、
のんびりした
ゆとり専業主婦な感じに見えるのかなー
なんだか、朝から
こんな所を散歩していてしまって申し訳ない、という
気持ちになりました。

 

 

 

散歩するのに、言い訳してしまう

 

でも、私は
威張っていうことでもありませんが、


靴下は3足1000円のところを
3足も使わないからもったいないと2足しか買わないし、
服も今年に入ってTシャツ2枚しか購入しとりません。
食費だって週に6000円ほど、
これにはおやつやお酒などの予算も入ります。
毎日、夫にはお弁当を作っています。
前の晩の残り物の詰め合わせですが。

 

だから、
散歩している私をどうか見逃して下さい。
というような事を一瞬で考え、その場をやり過ごしました。

 

ほんと、
誰の目を気にしているか分かりませんが。

 

頑張っているお母さんの目を気にしちゃうんですかね。

 

 

頑張っている人を見たときに感じる"不安"

 

私は、
訳あってこういう暮らしをしていますが、(保育園に落ちただけ)
今の暮らしを気に入っております。

 

暮らしを維持する為に働きたくないなーと
気付いてしまったし、
今は自分が何をして働くか、
感じたり考えたりすることが楽しいです。

 

今の暮らしは夫のお給料で成り立っております。
私はこのくらいのお金があれば生活できる、という実験をしているつもりです。
どんどん要らないものを削ぎ落として、
生きるのには少ない物しか要らないなーと
感じているところです。

 

お金をたくさん獲得する為だけの、
無理な仕事は必要ない。

 

ゆくゆくは夫婦揃って、
好きな事をして生きていく予定です。

 

 

こんなことを考えている私ですが、
急にドギツイ現実があるような気がして
ソワソワ動こうとすることもあります。

 

今、整理収納アドバイザーのお勉強をしてみたいなーと
思っています。
資格を取れば、お仕事につながるかもしれないし…
と思ってみて、
あ、また、好きな事をお金に還元しようと考えてるな、と
気付くのです。

 

好きな事がお金に還元されることはいいですが、
私の中の"不安ちゃん"とでも愛称をつけてしまいたいくらいの
いつも一緒にいるこいつが、
お金に還元出来る事
好きな事としてみなそう
私を試してきます

 

そして、不安ちゃんは時々私が心を解放しながら
散歩なんてしていると、
わざと忙しそうなお母さんっぽい人を
私にチラリと見せてきて、
「現実ってこれっしょ?」みたいなことを言ってくるのです。

 

「頑張って働いてる人いたねー
 子供を養うって甘いもんじゃないからさー(苦笑)」


みたいなことを言ってきます。

 

そうして私の中にある、
お金に還元出来そうな"好き”をチラリと見せてきます。

 

 

好きなことをしている時に生まれる罪悪感は、どこから? 

 

自分の中にある"働くべき"という罪悪感のようなものは
なにが生み出しているのだろうと思います。

 

この罪悪感があるから、
休んでもいい時に、堂々と休む事が出来ません。
昨日みたいに、
誰かが働きに出ている中で散歩なんかしていると
勝手に誰かに言い訳なんかしてしまうのです。

 

 

こんな罪悪感、いらないなー
と思います。

 

この罪悪感は、
自分の人生を好きに生きようとしている時に
色々仕掛けてきます。

 

ほんとは、
私は、今しかない子供との大切な時間を、
散歩しながら
有意義に過ごしているだけ
そして、
その幸せな時間というのは、
私が受け取りたいと思ってるものだし、楽しみたい

 

 

でも、頑張っている人の目を気にして、
頑張らないことは、自分にふさわしくないものだ、
と思い込んでいる自分がいるのです。

 

頑張れば、お金がもらえて
このお金は不安を拭ってくれる。
不安のある人生に備えをしないなんて愚か者だ、と
自分にふさわしいのは
不安が待ち受けている人生だと
思い込んでいるのです。

 

 



今、幸せを受け取らないのは
後で良い思いをする為だと言わんばかりに
幸せを使わずにどこかに預けています。

 

こんなんじゃ、頑張った先に何もないと癇癪を起こすと思います。

 

 

 

おわりに

 

人生の先に、
癇癪を起こすか起こさないか分からない結末が待ち構えているなんて、
ちょっとゾッとします。

 

幸せを感じることを目の前にしたとき、
心に働きかける
この先になにかあるんではないかという不安。

 

それを拭い取れるのは
お金しか無いと思っている人生。

 

 

人生の先で、
この不安を押し付けた"お金"に何とかしてもらおうと
詰め寄っても
何とかしてもらえなかったとき、
癇癪を起こすようなおばあちゃんになりたくないなーと思います。

 


自分の人生を
お金に尻拭いさせずに今、
しっかりと目の前にあるものと
向かい合いたいです。
またそれによって
前に進んでいける人生を歩みたい。

 

歩む為には、
やはり、
自分の感じる"好き"なことを
やり続けていくしかないようです。

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